現在は、主にグラフィックデザイナーとして活動。その活動はCD ジャケット、DVDジャケット、ホームページ、本の装丁、ロゴデザイン、宣伝ポスター等のデザインなど。18の頃、洋服のブランドを始める。学生で一番コストがかからずスピード感があって、みんなに浸透させるには、Tシャツが一番手軽なメディアだった。そのTシャツを個人の作品を作る場所としてスタートさせる。そこからダンス・ミュージックのクラブ で配るフライヤーのデザインなどを手がけるようになり、さらに活動場所を広げていく。はじめは服にシルク・スクリーンでのプリント・デザインから始まり、そこから枝分かれしてくようにできることが増えていったのだ。その後、グラフィックデザイナーとしての道へと進んでいった。そして今回が、草野にとってはじめての個展である。
tsuyoshi kusano 作品展:Tsuyoshi Kusano × ikoi
オフィシャルサイト:http://kusano-design.com/
人も作品も環境が育てます。希少価値は、ニーズに対して分配されることができないモノに対して付加していくと思います。ボクの作品に対してニーズがあるとは言い切れませんが、グローバルに見てデザインという方法の中でTokyo産の作品は数があまり多くありません。それが、ボクにとってのMade in Tokyo。西洋に於いては、日本のグラフィックデザインは幾つかの名作を除いて文脈の外にあります。組み版や言語などルールに違いがあるからです。価値観や共感性も環境が違えば変わります。ガラパゴス的に発展した日本のグラフィックデザインですが、文化 として切り出せば、共感を生むことができるのではとボクは考えています。
自分の周辺になにげなくあるモノ。マイノリティではありますが、ビデオゲームは世界中に受け入れられた文化です。土地が狭く、外で遊ぶには危ない東京で、ビデオゲームは遊具として最適でした。なかでも、兄弟のいないボクは自分一人で過ごす時間がたくさんありました。ビデオゲームで時間をつぶす事で、時間を埋めていました。そこからボクは、制限ある環境で育まれたビデオゲームから純粋な美を感じ始めていました。当時は高揚感に身をゆだねるだけでしたが、後に特異な環境で発展するこのメディアに、単なる暇つぶしとしてのツールだけではなく、芸術性を見出すようになりました。それこそが、対話の切っ掛けとしてのグラフィックデザインだと考えました。独自な発展を遂げたグラフィックデザインとビデオゲームですが、オリエンタリズムとしてではなく、グラフィックデザインの文脈の中で、ボクはひとつの結果として提案しました。
そして言えることは、全てがグラフィックデザインであるということです。ボクにとって大切なことは、そのデザインがモチーフとどう向き合っているか。今回は、ビデオゲームをテーマにしましたが、それ以外の場合でも、同じくシンプルにデザインとして置き換えていったらどうなるか、ということです。それだけはいつも変わらないとボクは考えます。
今回のブックレットは自分自身で選択していくとまとまりがなくなると思い、自分で選ばない方がいいと考えました。選択から残ったものには、いろいろと欲望がでてしまうそうだったので。自分が個人的に凝っている趣向や考え方や方法ばかりを試したくなってしまうんです。それでは、あまりにもバラバラになり、時々の傾向が定まってない散らかった印象になってしまう。それを避けるために、今回はディレクション出来る方にセレクトしてもらいました。そのほうが素敵なものになるんじゃないかと。そこで『いこい・ショップ』でキュレーションを担当している、ショップ代表でもある渡辺美鈴さんに選んでいただきました。女性が選ぶ、ということも魅力でした。しかし、それ以上に彼女は世界に対し興味があったり、経験があったりとカルチャーやアートに興味がある人。体験としていろいろなものに触れてきた人の眼に価値があり、それが重要なことでした。その上、女性の方は繊細ですし、物に対する愛情だったりとか、視線がデリケートだと思うので、ベストな選択だったと思います。いこいは日本の文化を発進するアムステルダムのお店ですから、Made in Tokyoというような一冊にしてもらいました。
2000年の作品。シルク・スクリーン。デザイン誌『アイディア』に個人的なグラフィック作品として提供したものです。今回の個展でも、日本国内だけでなく誰にでも伝わる意味で親しみのある《入口》のモチーフとして選択しました。日本最大手のゲーム会社『任天堂』の代表作である『スーパーマリオ』というゲームが持つ、その世界感、環境をデザイン・レベルでの最小限度にまで削ぎ落とすことで、本質的な視覚表現としての気持ちよさ美しさを抽出してみました。また、もとのデザインで環境的に制限されていたテレビ画面のフレーム感の効果を再現するため、変則的ですが、正方形の作品にしました。また今回の唯一のカラー作でもあります。わかりやすさを選択するため、ゲームの色彩では濃いブルー等を重い印象から調整し、近しいけれどもズレがなく、けれど明るく感じる配色を思って選んだ色にしました。
作品の持つ原風景としては、小学校四年の時に図画工作の授業で同じモチーフ、同じ絵を描いたことがありました。その時は、水彩絵の具で、マリオやカメ、キノコも描きました。すると出来上がった作品は、誰もがキャラクターに注目してしまうものでした。しかし、その時から自分には、その景色こそが重要で環境のデザインとして美しいと思い始めました。そしてそれは、ビデオゲームに触れることのない人間にとっては、一度も眼にすることのない風景でもあります。東京に生まれ一人っ子に育ち、ビデオゲームに没頭する ような環境だった自分にとって、《入口》であると同時に望郷を感じる風景でもあります。そんな風景に様々な価値観や考え方を経た自分が、再度同じモチーフに挑んでみることで、その原風景を再確認することになりました。
本作はデザイン環境を楽しむものとして創作しました。シュミレーショニズム的にテレビの向こうで起こった事象を絵画として定着させることが目的ではありません。なるべく情報を制限し、環境として必要なマテリアルだけを残すことで、日本という特異な文化の一面を《入口》として表現しました。そのために《あえてわからなくしてもいい》ではなく、まず自分のデザインを楽しんでもらいたいと思います。そして、考え方を読み解いてもらいたい。そのきっかけ的な作品です。
2003年の作品。シルク・スクリーン。新作。個人的に90 年代後半の頃から日本産ゲームの最古にして最大のヒット作、タイトーの『スペースインベーダー』がモチーフです。ゲームに登場するキャラクター群を自分用にデザインし、一つの素材として様々な作品で加工し使用してきた自分にとって、デザイン・レベルでのランドマーク的なモチーフの一つでもあります。そこで今回も個展のために『スペースインベーダー』を素材としてデザインを成立させることを考えました。そこでより記号的な配置に特化させることでボリュームのある表現を目指しました。ただし、その上で並べた配置に1つのパターンをデザインすることをさけ、同じモチーフ、マテリアルが整然と並ぶ景色をあえて選択することとしました。ちなみに数パターンある敵デザインの中で今回のマテリアルを選択した理由は『スペースインベーダー』の モチーフとしてこれが一番純粋だと思ったからです。もとのゲームが持つ意味性、《宇宙人の侵略》を想起するタコ型星人に由来しています。火星人はタコ型でデザインされていたんです。つまり一番タコ型に近いデザインこそ純粋とボクは感じたわけです。
『スペースインベーダー』をプレイすると、まずモニターに彼らが整然と並ぶ。しかし、その美しいデザインをあえてプレイヤーが努力し崩していく。だが、その一番初めに並んでる姿こそがデザインとして美しい。ボクにはそれが、消費され、壊される前を想起させます。そして、量産される同一のデザインが、パターンでもなく個性でもなく、整然と並ぶ風景に気持ちよさと共に、落ち着きを感じます。ある意味、消費社会の象徴的なモチーフなので、悪しき侵略を表現しているかにもみえますが、ボクが求める環境としては、全く同じマテリアルが大量に生産され並んでいること自体に、どうしても惹かれてしまうことを表現しています。例えば、数年前まで数多くのマテリアルに囲まれ物を消費している状態こそが豊かさでした。同じ物でもストックがある。ストックにこそ豊かさがあった。その失われた消費社会、ストックへの憧れを『スペースインベーダー』誕生三十年を経た今、同年代の自分が抽出してみました。
もろちん、知識のレイヤー次第で見え方感じ方は変わってきます。だから、ゲームをしらなくても、なにかしら叙述的なモチーフ、リズムを感じてくれるだけでいい。あとは、プレイヤーにゆだねたいと考える作品です。
2000年の作品。シルク・スクリーン。個人的には、00年代初頭から時期的にデザイン全体で、情報をどれだけ削ぎ落とすかに可能性を感じていました。デザインの基本は、最小単位での情報伝達力、その速度と量であると考えます。そのモチーフとして本作で選択したのは、今回唯一のハードウェアであり、任天堂が90年に発表した初代『ゲームボーイ』です。あえて初代にすることで、より多くの人の手元にあった身近なハードウェアの記号化を目指しました。ここでもゲームの世界を触れたことのない人にも『ゲームボーイ』の機能的なデザインとして持つ美しさを、改めて感じてもらいたいと考えました。
今回、オランダで個展を開くことを決めた時、デザインを介して多くの人たちとコミュニケーションをしたいと考えました。だからこそ、自分たち誰もが最初に触れたことのある可能性の高いゲーム機にするべきだと思いました。そこには、デザインを介したコミュニケーションの最初と最後もあるのではないか、と。もちろん、本作でもデザインとしては、ゲーム機という素材を画として扱っています。例えばサイズを計り、的確に再現するのではなく、素材の印象を、記号化したデザイン画として見つめる対象に置き換えること。それこそが、今回のボクの個展を通したテーマであり、それを表現した作品です。